「表現の自由を考える4.14集会」アピール
10年の歳月をかけて靖国神社を追い続けたドキュメンタリー映画「靖国−YASUKUNI」が政治圧力によって公開の危機に直面したことを受け、本日14日、緊急集会「映画『靖国』と表現の自由を考えるシンポジウム」が日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)と日本ジャーナリスト会議(JCJ)の共催で開かれた。賛同団体として日本ペンクラブも加わった。
公開前の映画が国会議員によって事実上の「検閲」を受け、広く国民の目に触れぬまま葬られそうになるというのは、戦後日本では前代未聞の事態だ。「4.14シンポ」に集まった私たちは怒りを新たにすると同時に、表現の自由への攻撃は私たち一人一人に向けられたものであり、反撃はまず、自己規制という「内なる敵」の克服から始まるのだと心に刻んだ。
本日行われたシンポジウムでは、田島泰彦・上智大学教授が「今回の上映中止は自主規制・自粛というより自主検閲と呼ぶべきもの。自律ではなく他律ではないか。メディアは今回、何が起きたのかを徹底的に突き詰めて取材すべきだ」と問題提起した。
続いて講演に立った映画監督の森達也さんは「かつて放送禁止歌のことを取材したが、実際には規制などなかった。人はなぜ自主規制してしまうのか、それは自由が恐いから。そして自分でこっち側は安全という標識をつくってしまう。今回も全く構図は同じだ」と厳しく指摘。国会議員による出演者への圧力に触れ「踏み越えては行けない一線を越えた。ドキュメンタリー映画はぎりぎりの状況でつくっている。これでは映像が撮れなくなる」と批判した。
一方、今月11日には、最高裁が防衛庁宿舎に自衛隊のイラク派遣反対を訴えるビラを配布した市民3人に対する刑事罰は合憲とする判断を示した。政治的意思の表現活動よりも宿舎の管理権を優先させ、市民を2カ月以上も拘置するのが民主主義だろうか。表現の自由と市民運動の萎縮をもたらす判決だ。
民主主義の死は、「表現の自由」「言論の自由」「報道・出版の自由」の衰弱から始まる。私たちは、これらの「衰弱」に鈍感であってはならない。
「4.14シンポ」に集った私たちは、憲法と民主主義を守るべき国会議員が憲法で保障された言論・表現の自由を脅かしたことに改めて強く抗議する。また、文化庁に対し、政治介入の経緯を徹底的に検証し、今後は政治介入を絶対に許さず毅然として文化支援事業を行うことを求める。そして、「表現の自由」「言論の自由」「報道・出版の自由」を私たち自らの手で守り抜く強い決意を表明する。
2008年4月14日
日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
日本ジャーナリスト会議(JCJ)
「4.14シンポ」参加者一同
※4月14日、水道橋・全水道会館で催された「映画『靖国』と表現の自由を考えるシンポジウム」の会場で採択された。
|