映画「靖国」封殺に抗議する声明
戦争の最初の犠牲者は言論・表現だ。「いつか来た道」に逆戻りする極めて憂慮すべき事態である。
靖国神社をテーマにしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」に自民国会議員が異論を呈したことをきっかけに、映画館の上映中止が相次いでいる。憲法に保障された表現の自由はどこに消えたのか。私たち日本新聞労働組合連合(新聞労連)は、この不当な政治圧力に厳重抗議し、映画上映が広く行われることを強く望む。
映画は日本で活躍する中国人映画監督の李纓さんが10年をかけて撮影した。軍刀「靖国刀」を打ち続ける刀匠の姿や終戦記念日の神社の光景などを記録し、今春の香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した国際的評価の高い作品だ。
李監督は新聞で「配給側は街宣車が来る可能性を事前に説明し、映画館とも警備・警察の連絡態勢を確認して『一緒にチャレンジしましょう』と言われた。感謝していたのに、なぜだ」と憤っている。
問題の発端は、週刊誌が「反日的内容」と報じたのを読んだ自民党の稲田朋美衆院議員らが、同映画に文化庁所管の芸術文化振興の助成金がでていることの是非を根拠に、配給会社側に試写会を求めたことだ。国会議員が試写会を求めることも異例なら、文化庁の協力で全国会議員を対象に実施するというのも異常だ。試写会を見た稲田議員は「イデオロギー的なメッセージを強く感じた」と話したが、これは政府・与党による事実上の事前検閲ではないか。実際、これを機に上映を予定していた東京の映画館には、上映中止を求める電話がかかり、右翼による街宣車による抗議行動が続き、今月上映予定だった東京4、大阪1の計5館が「近隣や他の観客に迷惑がかかる」ことなどを理由に上映中止を決めた。映画には多かれ少なかれ監督の思想が反映されている。感想を述べるのは自由だ。しかし、国会議員がそろい試写会を行い、批評することそれ自体が無形の圧力になることは容易に想像できるはずだ。あまりに無分別というよりは、明らかなる言論封殺の意図を感じる。
今年初め、日本教職員組合の教研集会の全体会場、宿泊所だった東京のグランドプリンスホテル新高輪が、一転して使用を断った。右翼の街宣や威圧行動で顧客や周辺住民に迷惑がかかるというのが理由だった。裁判所は使用をさせるよう命じが、ホテル側はそれにも従わない異常事態になった。
わが意に沿わぬ言論を圧殺する動きはが、日本社会に広がっている懸念を抱く。私たちは言論・表現の自由を守るために、こうした政治圧力と徹底的に闘う。そして、映画関係者たちと連帯し、映画「靖国」の上映が全国各地で実現することを願う。
2008年4月7日
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
委員長 嵯峨仁朗
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