映画「靖国」への政治圧力に抗議する
2008年4月7日
日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
日本ジャーナリスト会議(JCJ)
靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」が公開の危機にさらされている。 日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)と日本ジャーナリスト会議(JCJ)は、「靖国」上映に対する政治的介入、圧殺攻撃を強く批判し、連帯して言論・表現の自由を守り抜くことを宣言する。政治圧力の結果、一時は東京都内の上映がすべて見送られる事態にまで陥ったが、心ある映画関係者の勇気と尽力とによって上映活動が息を吹き返してきた。私たちはこれを大いに歓迎し、今後も表現の自由のためにともに歩むことを呼び掛けたい。
今回の一連の動きは、週刊誌が同映画を「反日的」と紹介したことを知った自民党・稲田朋美衆院議員らが文化庁を通じて配給会社に異例の「試写会」を開かせたことから始まる。上映会後、稲田議員は「イデオロギー的メッセージを感じた」として公的な資金援助に「ふさわしくない」旨を発言した。この後、右翼による街宣行動も始まり、上映取りやめの動きが一気に広がっていく。
そもそもドキュメンタリー映画が無思想・中立的ではありえないのではないか。なぜなら制作の動機には常に監督の問題意識があるからだ。問題意識と表現・伝達手法の健全な調和が優れたドキュメンタリー作品を生む。事実、「靖国」は香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した評価の高い作品だ。もし、問題意識がない、無思想で中立的な表現活動ばかりであれば、この国には文化も次世代を担う人材も育たないだろう。「靖国」を批判した国会議員は、そんな日本にしたいのだろうか。
国会議員たちは確かに直截的に「上映を中止しろ」とは言明していない。しかし、強い権限を持つ国会議員が徒党を組んで異例の公開前の事前上映を開かせ、批評を行うことは、実質的な検閲とも言うべき圧力効果を生む。そうした「自粛」「自主規制」を狙った意図を誰しもが感じるではないか。逆にもし、そんな意図はなかったというなら、国会議員としてあまりに軽率すぎる行動だ。強く抗議する。
また、文化庁は守るべきなのは「わが身」ではなく、文化の健全育成であることをあらためて肝に銘じ、文化支援への政治介入には絶対応じないことを望む。
報道と言論、文化・芸術活動の現場にいる日本マスコミ文化情報労組会議と日本ジャーナリスト会議は、今月14日に「靖国」上映圧殺問題を考える緊急シンポジウムを予定するなど運動の輪を広げていき、今後もあらゆる言論・表現への政治圧力に反対していくことを誓う。
以上
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